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プログレ/HR、Macintoshと世間の流れとはちょっと違った視点での徒然語り
by t_maity
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強欲な企業と傲慢な大衆

 iPadの発表前後から話題は、デジタル書籍に集中しているように見える。
 その大半が「日本では出版社が消極的であるとか流通利権が複雑に絡み合っているため、iPadはApple TVに二の舞になる」といった意見が多いように見受けられる。
 Apple TVというよりも、日本でのiTunes Storeの映画やTV番組のダウンロード販売に関しては、確かに何の進展も見られていない。
 しかし、良く思い出していただきたいがiTunes Storeでの音楽ダウンロード販売に関して日本では順風満帆でここまで来ているわけではない。
 アメリカでiTunes Music Storeのサービスが開始されたのが2003年4月だが、日本では2005年8月と2年半近く遅れてのサービス開始となった。
 これは、もちろん日本のレコード会社との契約に時間を要したからだ。
 さらにサービス開始された時点でも数社のメジャーレーベルが不参加の極めて不安定なスタートとなっていた。
 契約ミュージシャンからのiTunes storeへの参加希望が多かったり、iTunes Storeでの売上げが爆発的に伸びた事などからソニーを除く4大レーベルも現在では参加している。
 問題はソニーだ。
 本家ポータブルミュージックプレイヤーのウォークマンがiPodに取って代わられたのが気に入らないのか、iTunes Storeとの価格設定が折り合わないのか(ソニーってCDも高過ぎ)未だにiTunes Storeに参加していない。
 日本以外のソニーグループ傘下のレーベルはiTunes Store参加しているところもあるのに、日本のソニーは嫌がらせのように参加を拒んでいる。
 
 映像のデジタル配信はと言えば、youtubeとニコ動が盛況なものの映画配給系などは今ひとつ伸び悩んでいるようだ。
 これら日本企業のiTunes Storeへの参加は協議中のようだが一向に進展しそうな気配がない。
 TV局などは、面倒な流通のしがらみなどないはずなのだが、iTunes Storeにコンテンツが並びそうな雰囲気はない。
 NHKオンデマンドなどは、はなからMac非対応と言う有様だ。
 これらコンテンツホルダーが、iTunes Storeへの参加を頑なに拒んでいる理由は、流通がどうのと言うよりもデジタル配信には、他人の手は一切触れさせたくない。コンテンツも収益も全て自分の手でコントロールしたいのだろう。
 しかし、賑わいのない所には人は集まらない。
 iTunes Storeが賑わっているのは、それなりの理由があるだろう。
 米NBCが2007年12月でiTunes Storeへの番組を打切り、Amazonに移行したものの翌年9月に再度iTunes Storeに戻ったということがあった。
 撤退した時には、NBCが2.5倍の値上げを要求し、Appleがそれを蹴ったことが原因という話があったものの、NBCはそれを否定し、その証拠と言わんばかりにiTunes Storeと同額でAmazonでの配信を始めたのだが、1年足らずでiTunes Storeに復帰した、しかも撤退前と同じ販売価格のままで。
 結局、iTunes Storeの方が魅力的だったということなのではないだろうか。
 企業の欲の深さを見たような事件だった。
 ほぼ失敗と言ってもいいような自社サービスにしがみついて利益から遠ざかるよりもAppleに30%の手数料を支払った方が得策ではないかと思うのだが。欲には勝てないという事か。

 デジタル出版に関しては、流通が複雑だとか、再販制度が足枷となってiBooksは成功できないとマスコミが騒いでいるが、確かに映像コンテンツなどよりもはるかにハードルが高そうだ。
 再販制度については、度々、制度改正が論議されるのだが、小売店保護の声が大きく、不調に終わっている。
 iPadが発表されてから、出版不況の救世主を求める声と街の本屋が潰れてしまうという相反する声があがっている。
 再販制議論を避けて通れないことを考えると、日本でのiBooksの実現は難しいと考えざるを得ないだろう。
 いずれにしても、デジタル出版が進んで行く行かないにかかわらず、出版社、流通、書店のいずれもがこれからは非常に厳しい状況が続いて行く事は間違いないと思われる。
 街の本屋さんが無くなってしまうのは非常に困る。
 本というモノが無くなってしまうのは、もっと困る。
 AmazonやiBooksの取り扱い商品も心配だ。
 取り扱いの中心となっているのは、小説などの「書籍」だ。
 多分、現在最も紙資源を無駄遣いしているメディアは、新聞・雑誌のはずである。
 本来、真っ先にデジタル化を進めてほしいのは新聞・雑誌なのだ。
 もっとも後世まで残ってほしい書籍ばかりがデジタル化されては困るのだ。
 確かに新聞・雑誌は、デジタル出版での課金は難しいような気もする。
 しかし、新聞・雑誌については、iPadスペシャルイベントでニューヨークタイムズがプレゼンしていたように「アプリケーション」で出版してほしい。
 アプリケーションならば、アプリ内課金できるし、iBooksのサービスがいつになるかわからない日本でも利用できる。
 流通の関係で、発売が東京から数日遅れてしまう地方でも発売日に読む事が出来るなどいい事尽くめだと思うのだが。
 短期間に有効な情報を扱い、さらに大量の紙を消費するような本、例えばコンピュータやアプリケーションの解説書、学校の教科の参考書等もデジタル化に向いているかもしれない。一冊がとても分厚く、重い参考書がiPadの中に何冊も入れられるのはとてもいい。
 iPadでObjective-Cの解説書を読みながら、Macでコーディングなどというのは効率がいいかもしれない。解説書だけではなく、ネットでいろいろなリファレンスを参照できるしね。
 あと、近年では数年で絶版となってしまうケースも多いので、絶版状態となった紙の本は、即、デジタル化して、その生命をつなぎ止めるようにしてほしいものだ。

 企業がiTunes StoreやiBooksあるいは Kindleのような新しい流れが出てきた時にそれに逆らうように言う言葉が「著作権保護」だ。
 日本の現在の著作権は、JASRACありき、つまり「使用料回収」至上主義。しかも、包括的利用許諾という歪んだ仕組みで成り立たせているもので、本来の「著作権」とは何かということを常に考えさせられるものとなっている。
 とはいえ、JASRACの都合の良い言い訳となり、本来の著作権者であるべきクリエーターの権利を侵害しているのは、大部分は海賊版で商売をしている犯罪者。そして、winyなどのファイル共有ソフトで音楽や映像など何でも只で利用し、そして只で分け与える事が偉いと勘違いしているバカな大衆。
 その他にも、他人の作ったものをまるで自分のもののように好き勝手にいじり倒すバカな大衆もいるが、これについてはまた別の話か。
 これら大衆の罪は、CDや本という物質を金を出して買ってしまえば、その中に収められている本質部分さえも自分の好き勝手にできるという安易なものの考え方をしているところである。
 このような考え方をする人間ならば、ネットの中においてあって、Winyで簡単に拾えるようなものは、道路に落ちているものを拾うような感覚でしかないのだろう。
 データを分け与えているだけなので、自分は痛くも痒くもない。より多くのものを分け与えれば、自分が何か偉くなったかのような錯覚を覚える。
 このような無知とも傲慢ともつかない感覚というのは、80年代を契機に増殖してきていると思う。
 ひとつは、ヒップホップの台頭。
 他人の作ったアナログレコードをスクラッチしたり、リミックスをしたりというテクニックがはびこるとともに、元来の権利を持つ作者のことがまったく視野に入らなくなってしまう。
 こういうことに対して、バカの一つ覚えのように作者を「リスペクト」していると口走る。
 リスペクトの意味をわかって行っているのかと言いたくもなるのだが、馬耳東風というものだろう。
 こいった事態をさらにややこしくしているのが、デジタル技術の発達とともに現れた「サンプリング技術」だろう。
 70年代までは、せいぜいメロトロン程度のことしかできなかったものが、80年代の訪れとともにコンピュータ技術をつかい、どんな音源でも好きな部分を切り取り、編集して使う事が出来るようになってしまった。
 このサンプリングで、90年代初頭に非常に面白い事件があった。
 あるイギリスのバンドのドラマーがあるアーティストのアルバムに収録されている曲のドラムが自分のドラムをサンプリングし無断使用しているというものだった。
 このやり玉にあがったアーティストは、元はと言えば、このドラマーのバンドのオリジナルメンバーでボーカリストという曰く付きの話なのだが、このアーティストが調査をしてくと面白い事実関係が浮かび上がった。
 実は、無断使用されたとしていたドラム音源というのは、もともとはこの疑いをかけらたアーティスト のアルバムからこのドラマーが無断でサンプリングして使っていたものを忘れてしまったいただけの事だった。
 ばかばかしい笑い話のような話なのだが、このドラマーが振り上げた手をどのようにおろしたのか。訴訟などにはってしてしまったのかまでの情報はないのだが、非常に印象深く残っている事件だった。
 近年、youtubeやニコ動などにより、二次利用などということが話題となっている。
 著作権者が二次利用されることに同意している場合なら、なんの問題もないのだろうが、そのようなことなど全く間得たもいない作者にとっては非常に複雑な問題を含むものとなる。
 JASRACに著作権管理を委託するということは、作者が自分のもっている著作に関する権利を JASRACに委ねるということであり、その瞬間、作者は自分の作品を自由に扱う事ができなくなってしまう。著作権を有するのはJASRACなのだから。
 自分の曲をヒップホップに使わせたくないと思っても、JASRACが使用料を払えば使っていいよと言ってしまえばそれまでだ。
 自分がライブをやる時にさえ、自分の曲の使用料を収めなくてはならない。
 ライブハウスに出演している8割方はロックバンドだと思うが、包括的契約を結ばされたライブハウスからの使用料がほとんどロックバンドにはいかず、まったく関係のないジャンルに流されているのではないかという疑惑がもたれている。
 日本でのiTunes Music Storeが開始された時にiTSからJASRACに最初の利用データが提出された時に、再提出を求められた事があった。
 その当時にネットで出ていた情報では、iTSでは、アーティストごとの詳細な売上げデータをデジタルデータで提出したのだが、JASRACでは、JASRAC指定の紙のフォームに(ザックリとしたデータを)手書きで出す事を要求されたというものだったが、JASRACの使用料の分配に関する疑惑を強調するものだった。
 JASRACは、作者同士の盗作問題には一切ノータッチで、当事者同士で解決をすべきとうことを公言している。
 「著作権」とは、いったい何なのだろうか?
 JASRACありきの著作権法など、もう限界に達しているのではないのか?
 いったん、JASRACを解体した上で、本来の著作権とは何かということをよく考えた、新しい法律を考える時期に来ている気がする。
 いずれにしても、強欲な企業と傲慢な大衆と何のためにあるのかよくわからないJASRACの間で、クリエーター達は一様に蚊帳の外に置かれているような状況である。
 iPadの発表とともに、出版社をとおさず、iBooksに自分の作品を出品することを模索し始めている漫画家などが現れ始めている。
 この先10年間で、相当ラジカルな変化が起こって行く事は、もう止めることのできない流れなのかもしれない。
by t_maity | 2010-03-08 03:40 | Macintosh
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